2026年03月31日

<ハルメク エッセー講座作品集>「神田神保町」富山芳子さん


随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクの通信制エッセー講座。ハルメクeventsでは、参加者が提出した作品の中から山本さんが選んだ「みなさんに読んでもらいたい作品」を公開しています。
第11期3回目のテーマは「無題(ご自由に書いてくださいまし)」。富山芳子さんの作品「神田神保町」と山本さんの講評です。


神田神保町

年明け、久しぶりに神田神保町を訪れた。送られてきた講演会の案内書に従って改札からそのままビルのなかのエレベーターで会場に向かう。
「あれ、岩波ホール?」
そんなはずはない。岩波ホールは2022年に閉館している。外に出てみると、かつて岩波ホールがあった場所の向かいに面したビルであった。講演会のあと、靖国通りをわたり、右側に連なる書店を覗きながら歩く。あちこちにビルが立ったせいか、街全体が白っぽく感じる。それでもあの洋書店も、日本文学専門店も、当時の風景のままだ。通りの端の三省堂に向かっていくと、工事中だった。


新潟県の雪深い町に生まれ育った自分が、東京の神保町というところに、多くの古書店があると知ったのは、中学生の頃だった。まだ、テレビなどなかった時代、世の中を知るには活字とときどき観る映画しかなかった。本を読むのが好きだったが、家にあるいくばくかの本は読みつくしていたし、学校には当時図書室などなかった。


その頃、母は近所のある家から1冊ずつ日本文学全集を借りてきてくれた。戦前に出版された重厚な装丁の本だった。家族みんなが教師だというその家には立派な書庫があるという。母の話によると、東京の神保町というところの古書店が一度ならず書庫の本を売ってほしいと言ってくるが、その家では手放さないでいるという。そのおかげで、明治から昭和初期までの作家の本を読むことができた。


進学のため上京したあとは、なにかとこの街、神田神保町にゆくようになる。外国語を専攻したことから洋書店は大事な店だった。ただ、卒業後、東京での生活は長くはつづかず、結婚でしばらく地方に転居、また子育てにと、あの本の街を思い出すこともなくなった。関東に戻り、ようやく自分の時間が持てた頃、また、それとなく足を運ぶようになる。ただ、この頃の関心は書籍ではなく、おもに岩波ホールでの映画だった。支配人高野悦子が選ぶ数々の映画は日比谷街の映画とはひと味違い、今でも自分にとって思い出のなかの宝となっている。


山本ふみこさんからひとこと

記憶の旅に誘われ、ときめきました。
あのころの、神田神保町(東京都千代田区)で、わたしは「富山芳子」とすれちがうか、喫茶店(「さぼうる」? 「ラドリオ」? 「カフェ・トロワバグ」?)で、隣り合わせていたかもしれない……と、たまらない気持ちになりました。
読み手の感情を掻きたてるのに必要なもの。それはつよい表現でも、大掛かりな舞台装置でもなく、おさえにおさえたスケッチだったりするのが、不思議です。
その意味でも、この作品はあまりにも静かで、唸りました。


通信制 山本ふみこさんのエッセー講座とは

全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は講座の受講期間の半年間、毎月1回出されるテーマについて書き、講師で随筆家の山本ふみこさんから添削やアドバイスを受けられます。