2026年04月30日

<ハルメク エッセー講座作品集>「鬼ぐるみ」前田もとこさん


随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクの通信制エッセー講座。ハルメクeventsでは、参加者が提出した作品の中から山本さんが選んだ「みなさんに読んでもらいたい作品」を公開しています。
第11期4回目のテーマは「ツボ」。前田もとこさんの作品「鬼ぐるみ」と山本さんの講評です。


鬼ぐるみ

サンゴの枝のようにかたくトゲトゲしていた木々が淡くほんわりと光を放って山々はカスミにおおわれたような風情になった。


《山笑う》


車を運転しはじめたころ、峠の山をさして助手席から母が教えてくれた春の季語だ。
芽吹きだした野山を見ると必ずこの句が口をついてでる。わたしにとっては「春が来た」と同じフレーズだ。
山が笑うというのは、こんなふうだろうか。太陽の光が葉を落とした枝枝の間から山の地肌まで差しこんで、山はだんだん温められる。暖かくなって気持ちよくなって、山は愉快そうに低く小さくゆっくりと声をだす。ふっふっふ。
北宋の画家 郭煕(かくき)の画論の中の「春山淡冶にして笑うが如く」からきているという。1000年も昔の人が表したことばを今も使わせてもらっている。


今年は冬が去って行くのがうらめしかった。暖かい風がふくと悲しかった。白梅がチラホラ咲き始め、春を思わせるのもいやだった。いやだな、いやだなと思っていても季節は移ろいつづける。
野生のシカに荒らされてもう芽を出すことはないと思っていたクロッカスやチューリップが細い葉をのぞかせた。
メダカを家の中の水槽から外の石の鉢に移した。家の中より外の水の方がはるかに暖かくなっていた。
鳥が1羽電線にとまってせっせと羽繕いをしていた。よくよく見るとツバメだった。はるか海を越えてさらにこの地までたどりついたのだ。疲れた体を早くなおせ。
コートを用意して浜辺を歩くが、波は静かで風はもう肌を刺すようなことはなかった。遠くで小さく犬の声がした。だれかが散歩させているのかと見渡したが、それらしい姿はなかった。一番寒い時に逝ってしまったうちの犬だったかもしれないと思える。流れ着いた鬼ぐるみを見つけては大事そうに口にくわえて離さなかったなあと、砂の上に目を凝らす。小さな鬼ぐるみがどうぞというようにひとつ落ちていた。わたしは、代わりにそれを持って帰った。


山笑う。
山が笑うのは、いい。


山本ふみこさんからひとこと

うつくしい随筆が生まれました。
おめでとうございます。
うつくしくスケッチされているだけでなく、この作品の優れているは、書き手の心情があらわれているところです。
結び近くに、「遠くで小さく犬の声がした」というくだりがあります。
もとこさんの家に暮らした愛犬と鬼ぐるみとのつながり、犬さんへの思いがさりげなくも確かに描かれていて、胸を打たれました。


通信制 山本ふみこさんのエッセー講座とは

全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は講座の受講期間の半年間、毎月1回出されるテーマについて書き、講師で随筆家の山本ふみこさんから添削やアドバイスを受けられます。